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善徳女王(再)~新羅の歴史 [韓国ドラマ]

以前、たいちさんが善徳女王をご覧になり、ケイリン=桂林だと思っていたとコメントされていた。そういや、初回放送は日本語吹き替えだったから、字幕があれば勘違いも怒らなかったろう。なお、正しくは鶏林である。新羅の始祖であるヒョッコセが(鶏の?)卵から産まれたからだ。

新羅本紀(三国史記)によると、新羅の国名は503年(智証王の時代)に「始祖が建国して以来国名を定めず、斯羅とか斯廬、あるいは新羅と呼んできが、縁起のいい文字である新羅を正式に採用したい」ということで、決まったとある。

だが、新羅本紀には同時に、初代・ヒョッコセの時に国名はソフル(徐那伐)と決まったとあるし、のちの解脱(王)のときには、国名を鶏林にしたとある。

このようなことから、小林先生は「実際には、何度も王朝交代があって、国名は変わった」と考えておられる。ただ、歴史的にも4世紀ごろには、新羅という国名があったことは、はっきりしているので、おそらく王朝交代に際して、その都度、国号を定めていたというのが妥当らしい。

中国の北魏の時代、502年と508年には、「斯羅」が朝貢したと記載されているから、前述の智証王の初期にはこれが国号だったのだろう。この時、新羅は中央アジアの都市国家・多婆那国と一緒に朝貢しており、ドラマ「善徳女王」の描いたとおり、中央アジアや西域との交流の深い国であったらしい。王の名前も居西干・尼師今というように、遊牧民族の王である干(カーン)に似ている。また新羅の王冠も独特の形状をしている。


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