神社は誰にお参りするのか? [歴史]
全国に神社は多いが、いったい各神社は誰を祭っているのか?誰とも知らずにお参りしているのだから不思議。祭神が明らかなのは、靖国神社(神様がいない)ぐらいだろう・・・と思うから笑ってしまう。
一番有名なのは八幡神社(はちまんさま)で、私の故郷の小さな町(新潟県ンG市)も年2回、お祭りがあって学校が半休になったから有難い。一般的に八幡様は応神天皇ということになっているが、これも奈良時代になってからのもので、それ以前の発祥・いわれは古事記・日本書紀にもないそうです。
場所は九州の八幡(やはた)で、(八幡製鉄所で有名な北九州のヤハタ)、名前もヤハタが正しいようで、後に音読みしてハチマンと呼ぶようになったらしいですね。とくに宇佐八幡というように、宇佐郡が本拠地らしい。オオクニヌシの助けたウサギと関係あるのかも?
日本の地名は漢字の意味で考えるととんでもない勘違いとなる。特に弥生以前に遡る古くからの地名はそうだ。だいたい、時代とともに漢字も変わるので、地名の由来や意味を知るのはとても難しい。
さて、応神天皇とその母・神功皇后は4世紀の人物と考えられる。神功皇后の記事(日本書紀)には百済の記述が多数あるので、干支2つ分=120年ピッタリずれていることは既に証明されている。最近やったドラマ・近肖古王(クンチョゴワン)の時代ですわ。王は日本に有名な七支刀を下賜している。だから、日本に漢字や仏教がなかったなんてのはオオウソですね。
そして、現在は広開土大王(カンゲドワン)をやっている。ヨグ(近肖古王)の時代は高句驪を圧倒した百済であったが、この時代には東洋のアレクサンダー・タムドク王子(好太王、広開土王)の登場で百済は圧倒的な敗北をする。タムドクは実は、後燕の王子・慕容佐(ボヨウ・サ)であったと小林惠子先生はいっている。ドラマでも、現在、タムドクは妹を嫁がせて友好関係を築こうとしていますね。この慕容佐=広開土王(タムドク)は、アレクサンダー大王を同じく40歳ぐらいで若死にしている。しかし、本当は日本に渡って応神天皇になったという驚きの説を小林先生は唱えている。
広開土王=応神天皇=慕容佐
一見、無謀な説に見えるのだが、記紀には驚くべき記述があるのだ。神功皇后(応神天皇が子供のとき)のとき、敦賀にきてその地の神様と名前を交換したとあるのがそれ。名前の交換?いったい、どういうことなんだろうか?この辺が記紀の常套手段で、はっきりと明記されていないのだが、結局、政権がひっくり返ったということを暗示しているのだろう。記紀の基本的性格として、①外国人の倭王を認めない②易姓革命を認めない・・・というのがあるからだ。しかし、歴史家の良心というのだろうか、執筆した歴史家たちはいろんな暗示を残しているようだ。
名前の交換が本当ならば、その地の神様がホムタワケ(誉田別)で、応神天皇の本当の名前はイザサワケ(五十狭々、伊奢沙和気、去来紗別)となる。
特に古事記では、そのときにイルカ(入鹿魚)が打ち上げられて、これを神からのごちそうだと喜んで、ミケツ(御食)大神と名づけ、これが現在の気比(ケヒ)神社だという。一方、日本書紀はこの伝説を『だけど、こういった記録はない。本当だろうか?』ととぼけているのだ。
それにしても、蘇我入鹿のイルカってイルカ・クジラのことだったのね。目から鱗。
イササワケのイサ=佐(人偏+左)は慕容佐のことなのかもなぁ~。
私は韓国の歴史ドラマが好きで、近肖古王も広開土大王も観ましたよ。
by たいちさん (2012-10-22 22:09)
本場朝鮮では、歴史書が散逸しているために、近肖王の存在も日本書紀で確認できるだけだそうです。実在が確かな最古の百済王だそうです。
by 降龍十八掌 (2012-10-23 09:56)