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空海と唐と三人の天皇~平城天皇の正体? [歴史]

小林先生の完結編ともいえる本が出版されていた!今年の6月に出ていたのですが、日本史関連書籍の場合、くだらない本がメインの場所を蹂躙しているので気づきませんでした。もっとも例外的に古田先生の本は一番上に目立つように表紙を前向きにしておかれていますけど・・・。

今や日本の常識になりつつある王朝交代説。いわゆる通説派の学者たちは反論もできないので、だんまりを決め込んでいます。とにかく(いい意味での)論争を期待しても全くムダ。天皇陛下も本当は古田先生や小林先生に文化勲章を贈りたいじゃないかなあ~。

さて、この本ではマイナーな平城(へいぜい)天皇についてスポットをあてている。私も、平城天皇のことは名前しかしりませんが、その名前からして平城京と同じなので何か特別の意味があるのだろうか?

正史である日本後紀には、桓武天皇が死んだとき東宮殿の上に血が灌がれ・・・と書いてある。古事記や日本書紀の時代なら分かりますが、この時代の歴史書、しかも正史にそんな意味深な文があったとは意外。まあ、きっと暗殺か何かをほのめかしたのでしょう。正史の場合は表ざたにできないことは暗示にとどめておくのが常套手段。

ではこのときの東宮とは誰なのか?桓武天皇があまりにメジャーなので、そのつぎの天皇なんて全く知りませんでしたが、それが後の平城天皇となった阿殿(あて)親王。なお、部下が坂上田村麻呂だというので、そちらの方がはるかに有名ですね。さらにあの怪僧・空海ともかなり親密な関係だったというから、これはおもしろそうです。

博学の小林先生によると、これは後漢書『水が血と化すのは殺戮が親戚にまで及ぶとき』とあるので、子供の平城天皇が父の桓武天皇を殺した・・・ということの暗示になるという。丁度、今やっている近肖古王の話みたいですなぁ~。(イ・サンでテスをやっていた俳優さんが悪役を演じています。)異母弟の第三王子を母子ともに謀反の濡れ衣?で殺したというから、これもそっくりな話。(近肖古王も危うく母と殺されそうになります。)

たしかに、安殿は親王とあって太子じゃないから、自分が天皇になるために暗殺したんでしょうか?本書ではその状況証拠や傍証をつめていくようだ。

次に、この平城天皇、暗殺したかどうかはおいておいて、わずか3年後に譲位をしたとある。うーん、これは権力争いに敗れたということか?日本の総理大臣みたいですなぁ~。

さて、一方の空海ですが、これも常識的にてっきり遣唐使だったのかと思い込んでいましたが、実は単に個人的に渡航した一人の学問僧にすぎません。そんな彼がどうして、後に最澄をしのぐほどのメジャーになったのか?しかも、帰国後、空海は平安京には入ることを許されていない!(だから、高野山のいなかにお寺をひらいたのねぇ~)

うーん、教科書に載せたい、いや、教科書に載せるべきお話が一杯ありそうなのね。


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コメント 3

たいちさん

この時代の話は、いろんな事が想像出来て面白いですね。
近肖古王は、私も観ましたよ。
by たいちさん (2011-10-28 21:58) 

降龍十八掌

たいちさん、ありがとうございます。
平安時代ともなると平安な時代だったかと思いますが、実際には動乱の東アジアだったことがよく分かりました。
by 降龍十八掌 (2011-10-30 17:03) 

通りすがり

僅か三年で譲位は、平城天皇が生来病弱だったからですよ。
by 通りすがり (2013-11-30 23:39) 

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