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端宗の結婚(王と妃) [韓国ドラマ]

異例ではあるが、文宗の喪中にもかかわらず、王室の威厳を高めるため端宗は正室(中殿ソン氏)を迎える。これにより、首陽大君(世宗の次男)の謀反はないと宮殿内外においても思われる。だが、実際には多くの有力臣下が、幼い端宗に娘を嫁がせても(やがて謀反により)、寡になると考えて辞退していたのだった。

解説によると、世宗の昭憲王后が死んだのち、ずっと中殿の座は不在であったという。さまざまな陰謀により?この昭憲王后ですら父を謀反の罪で殺され、危うく廃位されてるところであったし、次の文宗の場合はもっと悲惨で、世子時代に相次いで二人の正室を廃位させられている。ということで、文宗は正室(中殿)がいなかったことになる。後に世子を産んだ顕徳王后が追贈されるが、この女性は世子(端宗)を産んですぐに死亡している。しかも、死んでいるのに後に廃位させられている。(その後チャングムの時代に復権してもらっている。)

この時代、世宗に王位を譲った兄の譲寧(ヤンニョン)大君もまだ生きていて、王室の長老として存在していた。また次兄の孝寧(ヒョリヨン)大君も健在であった。一説によると、譲寧大君は優秀な弟の世宗大王(忠寧大君)に王位を譲るために、バカ殿を演じたとも言われている人物。この時代でも、偏屈で狂気じみた爺さんだと思われている。廃太子された人だから、とっくに殺されていたと思っていたんですけどね。


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たいちさん

王后の廃位が何度もあったのですね。
by たいちさん (2011-03-04 10:39) 

降龍十八掌

たいちさん、ありがとうございます。
王后ではなくて、即位前の世子妃のようです。正式の中殿が廃位されたのは、チャングムの誓いで見られたように後の中宗の時代だったような気がします。
その後は、有名な悪女のチャンヒビンの時代でしょうか。
by 降龍十八掌 (2011-03-04 15:20) 

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