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熾烈な跡目争い(王と妃) [韓国ドラマ]

なかなか話が前進しない、歩みの遅いドラマ、『王と妃』。作品としては、前作『龍の涙』の後続番組ですが、時代的には『大王世宗(テワン・セジョン)』の後の話。

とにかく、朝鮮王朝はその成り立ちから王の跡目争いに明け暮れる。そもそもは、初代の李成桂(イ・ソンゲ)のバカ爺さんが、後妻の産んだ末弟(八男)を世子(皇太子)にしたことが間違い。高麗王朝打倒に功績のあった五男(前妻の子供)イ・バンウォンを本来は世子に指名すべきであった。結局、バンウォンら前妻の息子たちは腹違いの弟たちを殺して(第一次王子の乱)、次男のイ・バングァを推して第二代王・定宗にする。

しかし、実質的には五男のバンウォンの傀儡政権であり、王の定宗は弟バンウォンを恐れるあまり自分の子供たちは出家させるほどであった。さらに、四男のバンガンが謀反を起こし逆にバンウォンに平定されてしまう(第二次王子の乱)。こうして、バンウォンは王弟太子から正式に第三代王・太宗として即位する。

太宗は即位後は、王権確立のために私兵を禁じ、次々に功臣たちを殺し、正妻(皇后)の弟たちすらも死刑にして外戚の専横を防ぐ。こうして、漢の高祖のようにして王権の確立をはかったのだが、長男の世子が即位できず、『本の虫、勉強の虫』三男の忠寧大君(チュンニョン・テグン)が第四代世宗として即位する。

ようやく、大王世宗の長期政権のもとで内政・外政ともに安定した?・・・と見えた王朝であったが、太子の長男(文宗)は病弱であった。結局、第5代文宗は早死にし、幼い長男の太子が第6代端宗として即位する。

そしてこれが、またもやお家騒動の火種となってしまう。文宗の弟たち(端宗の叔父たち)が虎視眈々と王位を狙っていたからだ。また家臣たちも幼い王よりは、叔父である大君たちに期待していた。

こうして世宗の三男である安平大君が先に謀反を計画するが、未然に次男の首陽大君に先手をとられてしまい憤死する。またもや、兄弟どおしの殺し合いとなってしまう。もう、どうしようもない国ですなぁ~。一体、どこが儒教と礼儀の国なんだろうか?

それにしても、代々の正室がよくもこうポンポコ男の子を産むというのも不思議というか健康的。徳川将軍家とはえらい違いです。

まず、太祖イ・ソンゲの正室(前妻)は6男2女。後妻も2男1女。

太宗も、正室・元敬王后が男子(大君)が4人となんとも強運の女性。側室の男子が8人。

大王・世宗もドラマでは、描かれていませんが、なんと正室・昭憲王后が8人も大君を産んでいる!聖君としてのイメージが崩れるが実際には側室も一杯いて、その他の子供も一杯いる。

 

 


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コメント 2

たいちさん

「王と妃」は観てませんが、子供を沢山作るのが王権の安定とは、ならないようですね。
by たいちさん (2011-03-04 10:30) 

降龍十八掌

一応、子供をたくさん作るのは奨励されており、側室もたくさんいるんですが、太子以外の男子は政治の勉強をするのさえ禁じられるという徹底振りです。
日本とはえらいちがいますね。
by 降龍十八掌 (2011-03-04 15:16) 

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