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日本の起源が明らかに!? [歴史]

古事記には、日本という単語は一度も登場しないのに、日本書紀にはタイトルからして日本という単語が使われている。この意味不明の日本という単語についての言及がいっさいないという不可思議な問題をほうっておいて、

日本の原点に戻れ!

なんて右翼がよく使う文句をいってもしょうがない・・・[ふらふら]。いったい、いつの時代の日本をさしているのかわかりませんからね。そもそも日本という単語は720年にできたといわれる日本書記が始めてなので、それ以前に日本はなかったわけですから。そもそも、日本というのは国号(国の名前)ではないようです。

日本について言及しているのは唐書ですが、それまで東夷(東アジア全般)の中の倭といわれた地域がなぜ日本になったかについて、

①『倭という別称をきらって自ら名前を変えた』

②『東の太陽が上る方の地域だから』

③『もともと小国だった日本が、それまでの(宗主国であった?)倭国を併合したから』という3つの説を併記しているます。ただ、笑ってしまうのは、最後に、いずれにしても日本人(の遣唐使)を見ていると、態度はデカイし、ウソばかり言う ので信じられないね・・・というオチがはっきりと書いてある点です。まあ、この点は、旧日本軍やいまの北朝鮮報道をみていれば納得。(笑)

なんで態度がでかかったのかは不思議ですが、考えられるのは、当時、旧高句麗勢力や突厥に苦戦していた唐に対して、日本(大和朝廷?)が協力してやったという意識があったのかもしれません。ドラマ大祚栄でも、唐に協力した契丹は態度がでかかった!中国は大国といえども、周辺国家の軍事的脅威に常にさらされていたわけですから。おそらく倭国というのは、中国に対して向こうを張る勢力だったのでしょう。そもそも、隋の皇帝に対して対等の文書を送りつけたほど無礼な国だったわけですから。(この点で、伝説の聖徳太子の優れた外交政策だったなんていうのは、あきれた戯言です。)結局、哀れ、倭国は百済・高句麗・につづいて唐に滅ぼされてしまいました。首都であった九州大宰府は廃墟となり、今はその面影もない・・・?(九州に行ったこと無いからわかりません。)九州に進駐軍が来たことは日本書紀にも記載があります。

さて、この日本という不可思議な名称はいかにしてつけられたのか?当然、これに言及した文書はいっさいありませんから、推理するしかないわけですが、漢字によるパズル的解法でしか解けないでしょうね。当時、九州を中心とする倭国は高句麗・百済勢力が中心だったでしょうから、今、話題の官僚と同様に、ずるがしこくて偏差値の高い官僚が幅をきかせていことは想像に難くありません。彼らが使っていた暗号(符丁)が日本という単語だったようです。

なんと、日本は暗号だった!

このような符丁は、ヤクザや各種業界でよく使われます。質屋は7(シチ)だから1+6=7で一六銀行。お寿司屋さんで、お醤油はムラサキ(紫)なんていいます。魚屋さんでは、7のことを星(ほし)というそうです。テレビなんかでも、最近は漢字パズルなんかが盛んですね。ヘンやツクリに解字したり、あるいは合体合成させたりといろんなことが出来ます。さらに、朝鮮~日本では音読みだけでなく訓読みもありますから、バリエーションが広がります(逆に、訓読みがたくさんありすぎて、小中の生徒のオチコボレの原因にもなっていますが・・・[がく~(落胆した顔)])。解字といえば、三国志には夢判断で、頭に角が生えた夢を見た魏延(蜀の切り込み隊長)が、諸葛亮孔明の遺命によって首を斬られる話があります。角という漢字は刀を用いる・・・と書くから、頭に刀を用いられるのは首を斬られることにきまっているじゃありませんか!と官僚にバカにされるシーンがあります。(この官僚は、延の性格を知っていたの、逆恨みされないように、ウソの解釈を話しておだてておいたんですけどね。[わーい(嬉しい顔)]

結論

日本=東夷

であった。ヒントは東夷=東一、東と言う字は木ヘンが部首?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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