慕容氏 [中国ドラマ]
天龍八部に登場した慕容博・復父子。燕国復興の野望を抱いていましたが、この燕国というのは前燕と呼ばれる五胡十六国時代の燕国のこと。(春秋戦国時代の燕国とは違います)
この慕容氏、ほかの金庸作品の登場人物と同様に、歴史上本当に存在した氏族。本当に燕国の王様だったのです。ただ、流石に天龍八部の慕容復・博の父子は金庸先生の創作かも。(なんといっても時代が相当たっていますから。復も復興の願いをこめて復と名づけたといっていましたし)
燕国の初代は慕容皝(こう)で、337年の建国。いわゆる前燕(337-370年)である。慕容氏はいわゆる鮮卑族とのこと。皝の息子、慕容儁、その息子の慕容暐、慕容垂
前秦の苻堅によって滅ぼされた。
さて、カンの良い方なら、日本史に嵌っている降龍が、なぜこの時期に慕容氏の話をしているか?
なんとなく感づかれたかもしれません。
そう、この慕容氏こそ、実は・・・・
日本古代史のエアポケット、謎の4世紀の鍵を握っていた。
簡単に言うと、記紀において景行天皇の王子とされる日本史の英雄ヤマトタケル、彼こそが
ヤマトタケル=慕容儁(ぼよう・しゅん)
だったというから驚き、桃の木、山椒の木!
慕容氏は百済方面も傘下におさめ、一方の新羅は北魏系の劉氏の支配であった。この二つの氏族の争いが日本列島でも繰り広げられていたことは、想像に難くない。
記紀に書かれた歴代天皇は、大陸・朝鮮半島の王たちの投影であろう。
死んで白鳥になって消えたヤマトタケルとは、朝鮮半島に舞い戻っていった慕容儁であり、
仲哀天皇(というより神功皇后の夫といった方が有名)は百済の近肖古王らしい。
なお、ヤマトタケルは景行天皇の王子ということになっているが、実際には
ヤマトタケル=景行天皇で一体の存在だったものを書紀の編者が創作して親子に分離したと考えるべきのようだ。
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