恐ろしい?!ちっちゃい者クラブ [歴史]
原作「一寸法師」-Boys be ambitious!
偶然耳にした両親の嘆き。一寸法師(本名は何だっけ)はその言葉で落ち込
んだりはしなかった。なんと「このままでは親に捨てられるかもしれない。それ
ならいっそ自分からこの家を出てやろう」と考えた。エライ! 親離れを決意した
のだ。プライドの高い少年であった。
そして翌日、彼は両親の前で立身出世の夢を語り、了解を得て、例の針の刀、
お椀の舟、箸の櫂を用意してもらう。
少年は大志を胸に刀を腰に差し、お椀を頭の上に掲げて意気揚々と川に向か
った。
その後の大臣との出会いまでは、ご存じのとおり、道では踏まれそうになったり、
訪ねたお屋敷では下駄の下にいたために姿が見えなかったり…。
その面会で大臣に気に入られ、お屋敷勤めをすることになったのだが、その理由
と彼の仕事は少々意外なものだった。だから、絵本からは外されたのだろう。それ
は次回で。
ヘコタさんの日本昔ばなしからのTB記事第二段です。(前回は浦島太郎)
一寸法師、金太郎、桃太郎、酒呑童子、ひいてはおじゃる丸、までみんな子供。酒呑童子なんて永井豪のバイオレンスジャックみたいなイメージなのだが、童子というからには子供。
とにかく、子供の姿をしているといことがポイントらしい。歴史研究家の関裕二さんの本と読むと
子供=鬼 なのだそうだ。たしかに、この餓鬼(ガキ)!とかいいますね。
子供の生命力=鬼もパワー=神通力 というイメージが古来日本にはあったようだ。現在の我々はそんなことを知らないので、疑問にも思わない。だが、そもそも子供が鬼を退治するなんて変な話ではないか?あり得ないことだ。
そういえば、長く聖徳太子の絵とされてきたあの有名な絵(昔の一万円札)も太子の両側に二人の子供がいる。なんでも、この二人は鬼であり、太子が化けて出るの封印する働きがあるという。
かぐや姫が最初、小さいのも、一寸法師が小さいのも、ちゃんと理由があったんですね。鬼=子供という概念が分かれば納得です。
なんとなくかわいいから、ということではなかったようですね。
ついでに言うと、
神=鬼 も表裏一体の関係であり、初代天皇が神武で、あとわずかに応神、崇神、神功皇后のみが神の字をもつ。これらの天皇・皇后はやはり鬼(になったと考えらている)であったようだ。
神という字はつくりは稲妻の形からきているし、示すへんは神えの生贄の血が滴る様子。否定的な意味だけでなく、稲妻は雨をともない、大地に実りをもたらす。
本来、政(まつりごと)とは鬼を封印してまつりあげることだったんでしょうね。日本中、こんなに神社が多いのはよほど、殺された人が多かったのでしょうか?
物部氏も物=もの もまた物の怪、でもののけ姫同様、鬼のイメージですね。節分にの鬼から始まって、日本は鬼だらけのようです。
みなさんも、ブログの鬼に、うちの弟子は勉強の鬼になってほしいものです。
参考
おとぎ話に隠された日本のはじまり 関 裕二 著
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%8A%D6%97T%93%F1/list.html
鬼という概念はどのようにしてできたのか、とても興味深いですね。
役小角で有名な熊野の大峰山には、自らを鬼の子孫と信じる村があるそうです。だからそこの豆まきは、「鬼は外」ではなく「鬼は内」なんです。
ところで降龍さんは、なんの鬼でしょうか?
by チヨロギ (2005-12-03 18:54)
すごい村ですね。役小角とは?初耳です。鬼島さんとか、苗字が鬼の家も『鬼は内』というそうですね。
ボクはそうですね、毒舌の鬼でしょうか。
by 降龍十八章 (2005-12-03 23:26)
毒舌の鬼ですか。たしかに(笑)。わたしも一人前の鬼となれるよう、もっと精進したいと思います。
役小角というのは役行者(えんのぎょうじゃ)とも呼ばれ、山岳修験道、つまり山伏の開祖といわれる人物です。
2人の鬼を従えていたとか、さまざまな伝説が残っているんですよ。後追いで(何かの意図をもって)創作されたものが多いとはいえ、なかなかおもしろいです。
by チヨロギ (2005-12-04 12:17)
えんの行者なら、誰でも耳にしたことあるでしょうね。でも、山伏の開祖だったとは知りませんでした。
by 降龍十八章 (2005-12-04 19:15)