偉大なる芭蕉② [国語]
芭蕉の精神は「不易と流行」であらわされるという。さきの天の川の俳句でいえば、不易とは天の川であり、流行とは罪人・朝敵という言葉に代表される時の権力を差す。もちろん、芭蕉にとっての真実は「不易」の側にあったろう。
京都で句会。門弟の一人が下の句をもって現れた。
〇〇〇〇〇 雪積む上の 夜の雨
この句の第一句(冠という)を考えるのが句会の仕事。皆が試案を出したが、どうにも定まらない。最後に芭蕉が
下京(しもきょう)や
という句をだし、「もしこれ以上の冠があったら、もう二度と俳句は語らない!」とまで言い放った。だが、門弟たちは誰もが、その真意を量りかねたようだ。確かに悪い冠ではないが、それ以上によい冠もいくらでもありそうだったからだ。だが、この句を絞りだした芭蕉にはやはり、深い意味があった・・・と古田先生は看破された。
古田先生は30歳台半ばから京都住んだ。そして、今日は北の上京区という高級街と昔の被差別のなごりのある下京区があることを知った。私の地域(新潟)は、そういう差別部落はほとんどないし、あったとしても一般的に聞いたこともない。まあ、実際は多少なりともあるそうだが。だが、関西のそれは相当なものときく。
だから、この句は貧民階層・労働者階級の俳句であってこそ意味がある。上流階級にとっての俳句ならほとんど意味がない。雪や雨となれば、明日の生活にかかわる労働者。飯にもありつけないかもしれない。だからこそ芭蕉は、この冠(下京や)以外はあり得ない!と断言したのだ。つまり、弱者の側に立った視点がなければ、俳句など意味がないということなんや。
現代の上から目線の狭量な右翼コメンテーターとは正反対の立場である。
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