偉大なる芭蕉③ [国語]
『去来抄』の中の一句。
柴の戸や 錠のさされて 冬の月
芭蕉の江戸の門人の句である。彼からの添え状には、下の句の推敲の依頼があった。「冬の月」がよいかあるいは「霜の月」がよいか?
その場では、芭蕉も「どちらもでもよいだろう」とした。だが、後日、芭蕉から門人の去来へ手紙が来た。それには、あの冠(第一句)は「柴の戸や」ではない!「此の木戸や」の間違いだ!・・・・。
確かに、江戸時代には門限になると閉まる木戸というものがありましたわなぁ~。つまり、此木という2字を1字の柴だと勘違いして読んでしまったわけです。
そして、芭蕉は、いやはや大変な俳句だ!印刷に回す前にすぐに版木を修正するようにと依頼した。では、なぜこの俳句がそんなに素晴らしい大作なのか?これを読んだ去来は前回(下京や・・・)と違って、直ちに芭蕉の意をくみ取ったという。
もし、「柴の戸」ならばどうか。これはただ、友人の家を訪ねたら、柴の戸の玄関がしまっていたというつまらない句でしかない。だが「この木戸」ならば、門限で帰宅できなくなった江戸の町人あるはいは農民の姿ではないか?と私は思ったのだが、これもまたやはり、それほどの大作ではない。
実は芭蕉が劇賞したのは、この木戸を江戸城の門の木戸と解したからなのだ。もちろん、当の作者がどう考えていたかは不明だが。これが江戸城の門の木戸となれば、これはやはり「あら海や・・・」と同じ、当時の権力VS庶民の図式となる。江戸城から閉め出された、あるいは入城できなかった人。彼らの上には、永遠に変わらない不易の象徴である月がある。それに対した幕府=江戸城内の人々とは流行である一時の権力にすぎない。
このように解釈したからこそ、芭蕉は「版木を打ち壊せ!」とまで命令したのだった。
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