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偉大なる芭蕉① [国語]

芭蕉といえば、今まではただの忍者だろうという印象しかなかった。つまり、奥の細道は全国視察のためのスパイ活動であり、俳句はあくまでも隠れ蓑だという認識。私の地元、新潟で残した

あら海や 佐渡に横たふ あまの川

という句は有名だが、私は天の川を見たことないので、なんとうらやましい。全天にかかる天の川というのは漫画でしか見たことない。いくら目を凝らしても銀河は見えませんなぁ~。だが、先日図書館で借りてきた古田先生の本の巻末を読んで、芭蕉の高い精神に触れることができ、感動した。現在の日本に欠けているものを示唆していると思う。ちなみに私の母の実家は佐渡である。

まず、この句を詠んだ背景が文章として残っている。学校の授業ではそんなもの習わない!芭蕉が自ら書いた「銀河の序」という一文。現代語で書くとその大意は

「この島は黄金が豊富で、めでたい島であるが古来より朝敵や罪人が流される場所として不名誉な汚名を着せられている。これはあまりにも残念、無念であり、涙があふれて袂(たもと)を絞れるほどだ・・・」

うーん、この文章を読まずして、この句は語れませんよ!ここでは「荒海」は海の波(なみ)を連想させるが、「芭蕉の涙(なみだ)」を掛けているとも思える。古来、この島に流された罪人・朝敵の中にもあらぬ疑いを掛けられた無念の人もいたであろう。また、政治的な敗者もいたであろう。そのことを思うと芭蕉の「魂は削られ、腸(はらわた)はちぎれんばかり」だった。

さらに、私のイメージでは、佐渡の上に平行に銀河が横たわっているものと思っていたが、そうではなくて本土と島を結ぶ橋のように銀河が垂直にわたっていることらしい。銀河が見えない私には、銀河の向きが解らなかった!確かに、天の川は牽牛と織女の逢瀬のために一年に一度かかる橋を連想させるものだから、この句の天の川は、無念の島流しにされた人々を本土に渡すためにかかった天上の橋がわりなのだ。

となると、この句はまことに崇高な理念・思想を土台にした俳句であり、まさに芸術といえる。まさか、芭蕉がこれほどの人物とは思いもしなかった。幕府の上忍(位が上の忍者)であった芭蕉が、権力の虚しさをよくわかっていた人物であることがよくわかる。

なお、その後、門人たちに書いた「銀河の序」は何度か書きかえられ、「腸ちぎれ」とかいう過激な権力批判の語句はカットされた。幕府の目を恐れてのものだろう。とにかく、この句は、夜景と銀河の美しさを歌ったものではなく、深い悲しみと憤りを書いたものだった。


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