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極めてシンメトリーな・・・ [番組解析]

なんだか、森博嗣のミステリ小説のタイトルのようですが・・・。

シンメトリーな、そう、極めてシンメトリーな構図が出来上がったのが平成18年のジャパンカップダート移設ですね。それまでジャパンカップの前日土曜日のメインとして東京競馬場のダート2100mで行われていたこのレースをいったい何の理由があったのか全くわからないまま、次週の関西・阪神競馬の第1週のメインレースに移設し、距離もダート1800mに変更されたのです。

これにより、春と秋で、断続GⅠ戦⇒連続GⅠシリーズという瓜二つのシンメトリー構造が成立してしまったのです。

春 フェブラリーS (断続) 高松宮記念(断続) 桜花賞・皐月賞 (断続) GⅠ・6連戦

夏・秋  宝塚記念 (断続) スプリンターズS (断続) 秋華賞・菊花賞・天皇賞 (断続) GⅠ・7連戦

この構造ができたのがH20年。本来の構想では、日本競馬の国際パートⅠ国入りは平成19年のはずだった。国際セイ名簿委員会の横やりがなければそれでスタートしていたのかもしれない。しかし、実際はH19年~H21年の3年間は2・3歳の重賞はJpn表示という苦肉の策でアイドリングを踏むことになった。GⅠでなくてJpnⅠのダービーとは?

それは、このダービー馬が国際的になんの価値もない早起き野球の優勝者だということなのだ。まあ、だからウオッカなんて牝馬がかったり、ブエナビスタなんて牝馬がG古馬Ⅰを勝ちまくったのかもしれない。国際パートⅠ国競馬を目指して、日本競馬はH13年の満年齢表示⇒ワイド馬券導入⇒馬単馬券導入⇒3連単馬券導入⇒全レース3連単発売化⇒WIN5発売といった新基軸を次々に打ち出して脱皮を繰り返していった。このロケットの切り離しにも似た一連の手法が真正・国際化時代へのプロローグであったろう。

そんな紆余曲折を経て、H22年晴れて日本競馬は国際パートⅠ国入りした。よってH22年にデビューした現5歳馬、H23年にデビューの現4歳馬が初めて「同じ番組表の上を争った」世代同士で激突する最初の天皇賞(春)ということになるのだわ。

昨年秋の天皇賞もそういった意味では、初の激突であったが、勝ったのはH22年ダービー馬(つまりH21年デビューのケンタウロス的世代)エイシンフラッシュ(当時4歳)で、2着はアップトゥデートの最新世代の3歳(当時)フェノーメノであった。彼がダービー2着馬であったのは偶然ではないだろう。

さて、世代対決という観点からすれば、理想的な舞台が整ったのではあるが、なんと世代を代表するダービー馬が不在なんですね~。H23年ダービー馬オルフェーヴルはまた途中で競争やめたりするのが怖くて回避(逃走?)、H24年ダービー馬は引退。結局、皐月賞・菊花賞変則ニ冠+有馬記念まで頂戴したゴールドシップが今回は1番人気。どうにも負けそうにない雰囲気なのだが(こうして原稿を書いているうちにも)、どうもいやな予感がしてきた・・・。なんか、軸馬不在で人気になったスダホークを思い出してしまう。

でもまあ、金(ゴールド)の中には玉(ギョク)があるから天皇賞=王様にはふさわしいわなぁ~。これに勝る馬名の馬は見当たらないし~。メイショウ関白じゃ補佐役だしね。あとは⑮カポーティスターの騎手が高倉天皇。コパノ神宮が神功皇后に通じるか?ポーティ+パノの頭文字が

佳子(カコ)様

だけど。その佳子様はこの4月に大学進学したそうな。

 


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