ケータイの時代 [歴史]
スマートフォンなどという馬の名前みたいな携帯端末がでてくる時代になったが、ケータイの時代は今から1500年ほど前にもあった。
継体天皇。北陸(越の国)から招聘された遠縁の王族で、実に20年以上かかってヤマトの地に入ったという。伝説の応神天皇から数えて5世の孫というから、そもそも皇族ではない(当時の規定では皇族は4世まで)。ということで、日本書紀自体が王朝の断絶を自白している。しかも名づけて継体天皇とは、まさに血縁でないのに継いだということだからまさに王朝交代を物語っている。漢字の継という字もそういう意味なのだ。
では、継体天皇=オホドノキミとは一体何者なのか?有力な説が百済東城王。東城王の父は、百済蓋鹵王(ガイロ王)の弟である昆支(コンキ)。昆支は倭国に派遣されて在住しており、倭国で5人の王子を生んだ。そのうちの一人が東城王である。
日本書紀では、前天皇・武烈天皇紀4年で、百済書からの引用で百済王室の内紛を記載しているから、当然、これが次の天皇である継体即位の前振りになっているという。(姜吉云博士)なぜなら、日本の正史と直接の因果関係のない記述を入れるはずがないからである。
すなわち、東城王は本国百済のクーデターで失脚するが、生まれた故国の倭国へ戻って来た可能性が高い。
韓国の時代ドラマにでも出てきそうな話ですね。
by たいちさん (2011-10-15 17:35)
たいちさん、ありがとうございます。
ソドンヨでも、来週あたり阿佐太子は日本へ行くのではないでしょうか?
そして、帰ってこない・・・?
by 降龍十八掌 (2011-10-16 17:16)