SSブログ

俾弥呼(ヒミカ) [歴史]

片岡先生の本に問い合わせが殺到するのは、そこに書かれていることが全て真実に肉薄しているからである。そしてそれだけの説得力にあふれているからだ。馬券ファンにとっては的中こそが神である。レース展開や騎手の巧拙で決まる真剣勝負が競馬ならば、誰も馬券なんて買いませんわ。

それと同様に、日本史研究においても古田先生の多元的歴史学派が圧倒的な支持を受けているのも、まったく偏見やイデオロギーは無縁に真実を研究されているからだと思う。緻密な検証作業と、斬新な発想はまさに脱帽するのみで、読めば読むほど説得力があるんだよな~。

さて、一般にはなじみのない俾弥呼(ヒミカ)であるが、古田先生の新刊『俾弥呼ひみか』を立ち読みしてきた。(何しろこちらも2800円と財布に優しくないお値段なので・・・[ふらふら]

通常、卑弥呼の文字が用いられるが、これは倭人伝本編でもそうなっているそうだ。但し、これは中国ではよく使われる略字なのだ。本当の字は、三国志冒頭もしくは先行する歴史書のなかで既に書かれているので以降は省略されるというわけ。おなじみの高句麗も本当は高句なのと同様のことである。だいたい三国志自体が三国の略字ですからね。

そして、ヒミカの読みであるが、従来のヒミコは完全に間違いである。古来、女性に〇〇コという名前はないのである!ちびマルコや雅子などが女性の名前となるのは平安時代くらいなんですかね?中宮、定子や章子なんてのがいますからね。奈良以前は、小野妹子というようにあきらかに男性の名前です。

陳寿、唯一の誤り?~二倍年歴

司馬遷の『史記』に対抗して書かれた『三国志』。西方を極めた史記に対して、陳寿は東方南方を極めんとした。倭人伝にはピグミー族やアボリジニらしき異形の人種についての記述がある。だが、その正確無比たらんとした陳寿にも唯一のミスがあったか?

それが倭人の寿命である。倭人は長命であると。しかしながら、中国人と日本人で寿命が違うはずがない。陳寿は倭人伝中で、倭人には中国人のような暦の感覚がないと書いている。つまり、太陽暦を知らないために、秋分と春分で二回年をとるのである。これは、いまも神社のお祭りが春秋と二回あるのとつながっている。まるで天皇賞のようだ。[わーい(嬉しい顔)]

だとすると、日本人の年齢は半分にしなければならず、日本書紀で80歳あまりだった継体天皇は古事記に書かれているように43歳でちょうど合致するということだ。

この二倍年歴に対する認識は平安時代の日本書紀執筆官僚の中にもなかったようだ。だから、古代の天皇は長生きだったという誤った伝説を生んでしまったのではないか?しかし、150歳や140歳の天皇はいたが500歳や1000歳の天皇はいないのだから、半分にすれば高齢の天皇でも70歳台ということで常識的な線におちつくから古代の伝承は正確だったということでしょうなあ~。

因みに今の天皇が短命となったのは、ブス(イワナガヒメ)と美人(コノハナノサクヤヒメ)の姉妹のうち美人のほうだけを妻にしてしまったからだ・・・そうです。[わーい(嬉しい顔)]まあ、伝説としてはおもしろいのだが・・・。おそらくは百済官僚の創作か?

 


nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 1

コメント 2

たいちさん

二倍年歴は、説得力ありますね。
by たいちさん (2011-10-15 17:31) 

降龍十八掌

二倍年歴それ以前の古代は月の満ち欠けで12倍年歴、24倍年歴だったでしょうね。
問題は、日本書紀は基点をどこに置いているかですが、3世紀の卑弥呼を固有名詞を隠して倭の女王というかたちで引用していますから、そこからさか上ったようです。
だから神武天皇が紀元前600年あたりになってしまうのですね。
by 降龍十八掌 (2011-10-16 17:21) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。