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雄略天皇の歌は古代朝鮮語(1) [考証]

万葉集の巻頭を飾るのは雄略天皇の歌とされている。例の『カエルピョコピョコ・・・(正確には、籠もよ、美籠もち・・・)』みたいな歌ですね。

雄略天皇は西暦418年生まれで、在位期間は456~479年というのが通説。このあたりは、実際の史実とも年数が合っているようです。(それ以前は干支2運分=120年のズレがあります。)

まずは簡単なプロフィール

一般的には悪徳天皇、大悪天皇ともいわれる。五男である雄略帝が、兄弟たちを殺して帝位についたというエピソードからきています。また罪なき人を多数処刑したとも言われる。また、豪族である葛城一族を粛清したり、葛城山の神様=一言主(ひとことぬし)を追い出して四国へ流してしまったとかの逸話もあります。また三輪山の神様=蛇を引きずり出したともあります。また、とんでもないプレイボーイで、目がつけばすぐに情事におよび、婚約を濫発してはすぐに忘れるという誠に羨ましい男でもあります。有力武将の奥さんに目をつけて、その武将を遠征に出してしまい、その隙に奥さんを手に入れてしまうというどこかできいたことのある話もあるそうです。(聖書のダビデのパクリでしょうか?)もしかして、後の源氏物語のモデルかもしれませんね。

*三輪山とかは大和朝廷以前からあった古い神様の聖地のようです。関西の片は詳しいでしょう。(私のような越後もんにはイメージがわきません。)

一方、その反対に有徳天皇というあだ名もあり、氏姓制度や部民制度を確立、歴史上はじめて日本列島(当然、一部ですが)を『統治』した大王ともいえましょう。

*それ以前の伝説の天皇は、日本列島の一部地域を点と線で結んだ程度の支配を、一時的に行った形跡しかないようです。

なお、有名な倭の五王のうち、最後の倭王・武(在位462~502年、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事安東太将軍倭王にではないかと思われる人物でもある。武の勢力範囲は静岡の大井川あたりまで及んでいたのではないかと思われます。これは、当然、庵のようなボロ屋にすんでいた大和朝廷の天皇ではなくて、あきらかに九州大宰府に城郭を構えていた大倭国(九州王朝)の天皇のことでしょう。日本書紀はほとんどが大倭国や百済などの歴史を取り込んでいるのですね。

*百済の名前が無いのが、注目ですね。つまり、中国側は百済の支配権だけは認めなかった。

外来の征服王

倭王・武は生涯を百済救援に費やし、高句麗・新羅と敵対しました。その正体は百済の王弟=昆支(コンジ、軍君)だと思われます。

*日本書紀では、日本にいた百済や新羅の王族はほとんど人質!扱いとされているようですが、実際は逆で支配者だったでしょう。事実、昆支は次男を次の百済王(東城王)として帰国させていますし、長男はあの有名な武寧王です。まあ、《人質という方便》で記載したとしても史実を記載してくれた日本書紀の編者には、歴史家としての良心を感じます。

万葉集の巻頭を飾る雄略天皇が倭王・武かどうかはともかく、とにかく雄略帝は日本史の中で画期的な帝王として位置づけれらていたということは間違いありません。では、『籠もよ、美籠もち・・・』の歌はどういいう意味なのか?

一般的な解釈は

プレイボーイの雄略天皇が、ギャルを軟派している歌ということになっています。

姉ちゃん、かわいいね、僕といいことしようよ。名前教えて。家の名も。おいらはこの国の帝王なんだ。[黒ハート]

あまりにふざけていますね!(怒)天皇がノンビリ畑でナンパですか!これが巻頭に掲げられる万葉集っていったい何なのでしょうか?そんなもんだったら、国語の教科書になんて載せる価値なしの三流文学です。教科書検定する文部省は即刻、万葉集を排除すべきです。

そんなことぐらい、平安~江戸時代の学者で気づいた人が一人もいないんでしょうかねぇ~(苦笑)

 

 


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コメント 2

たいちさん

この時代の物語は、面白いですね。諸説あり解釈されています。
私は古代史は、あまり得意でないので、楽しく読ませてもらいました。
by たいちさん (2009-01-19 13:30) 

降龍十八掌

たいちさん、ありがとうございます。
この辺の時代を理解するには、朱蒙や大祚榮をみてないと難しいですね。
by 降龍十八掌 (2009-01-19 22:50) 

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