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箱根駅伝 [スポーツ]

箱根の山はホクトノケン、いや天下の険。足がもつれたり、お腹が痛くなったり、脱水症状になったりと、駅伝用語でいうところの大ブレーキが出ないかと、毎年楽しみにみています。

今年は、スーパーゴールデンルーキーの東洋大学1年生、柏原竜二が圧巻・驚異のレコードタイムで劇走、東洋大学に往路優勝という大学史上初のタイトルをもたらしました。本人いわく、『最初からオーバーペースで入り、最後までオーバーペースだった』というほどの超過激な追い上げ。『腹筋が痛くなるほどの劇走で、最後までもつかどうか危なかった』と振り返った。急勾配の下り坂こそ、走り方ができていませんでしたが、上り道は下馬評通りの走りで、5区に区間記録を50秒近く塗り替える前人未到の走りでした。

われわれはもう、二度とこんな場面を見ることはないかもしれない。まさに歴史的な大会でした。なお、大会でもっとも活躍した選手には金栗四三杯が授与されるんですね。知りませんでした。今回は、まあ柏原竜二選手で決まりでしょうね。

さて、2区ではケニア人のダニエルとモグスが圧倒的な力を見せました。これでは、関東学生対抗ではなくてケニア助っ人対抗駅伝と揶揄したくなります。ダニエルは20人抜きという快挙、モグスも区間新記録の偉業を成し遂げました。

万葉時代にマラソンや駅伝があったかどうかは知りませんが、箱根ならぬ山に掛かる枕詞は

足引きの~

山路で疲れて大ブレーキになった万葉人がたくさんいたんでしょうか?(笑)足を引きずるから山とは笑止千万です。まして、和歌でよく題材となる大和三山とやらは、箱根とは比較にもならない丘のような山だそうですから、枕言葉の使用法が間違っていますなぁ・・・

大和三山とは本来は別のもので、それを後の大和朝廷がパクッて奈良盆地にもっていった。だから丘みたいな山しかないんですね。古田先生は、これでは大和三山ではなくて、飛鳥三山だとおっしゃっています。本当の大和三山はどこにあったのか?

柿本人麻呂も歌聖と呼ばれるほどの宮廷人であった。しかしながら、正史・日本書紀にはまったく記載がない人物だそうです。ここからも、人麻呂はローカル飛鳥の大和朝廷ではなく、前王朝の大倭国の高級官僚だった可能性が高いといえましょう。人麻呂の和歌も、奈良ではなく、北九州で考えると真実が見えてくるのではないかと思います。

 

 

 


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たいちさん

私も箱根駅伝をテレビで見て、興奮しました。
柏原君は、1年生なので、また快走が見られるでしょう。
by たいちさん (2009-01-05 23:46) 

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