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銅鐸の響き [歴史]

学校の教科書や参考書に必ず載る銅鐸というものがあります。正確には青銅器なので青銅鐸というべきだと思うのですけどね。もっとも、オリンピックの方は金メダルを取ってほしいものですが。ただ、女子バレーは銅でもいいから、メダルが取れれば御の字です。

まあ、日本人なら誰でも銅鐸は知っているとは思いますが、なんとなく邪馬台国をイメージする人が多いのではないでしょうか?

しかしながら、実際には邪馬台国(正確には邪馬壹(壱)国)には、銅鐸はないのですね。銅鐸は近畿を中心に、長野~四国・中国地方東部に分布しており、九州方面では全く発見されていないようです。つまり、弥生時代(神武天皇の東征以前)には、日本の約半分に渡る一大勢力が存在していたということです。

この銅鐸、鈴のように中に球かなんかをつるして鳴らしたもので、外側を叩くお寺の鐘のようなもとは違うとのことです。しかも、どうも普段は土の中に埋めておき、儀式のときに取り出して音を鳴らしたようなのです。つまり祭器だったのですね。今となっては不明の、謎の宗教が日本の半分近くを占めていたようです。

 

一方、中国や朝鮮半島の国々と深くかかわりのある当時の表日本=九州方面には、剣や矛に代表される勢力が倭王的な立場を誇っていたようです。

 

さて、東の銅鐸文化ですが、奈良県だけは、突然(弥生中期から)銅鐸がなくなります。これは、西からのゲリラ的勢力が奈良盆地の一角に勢力を張り、当地を征服したという証です。これが神武天皇の東征というわけです。古事記の記載によりますと、そのテロ行為は苛烈を極めました。和平交渉と騙しては、皆がろ紙にしたり、敵を切り刻んだり、まさに地獄絵図を展開します。

一方、弥生中期以降、奈良県を除いた東日本では、銅鐸文化は益々発展し、銅鐸も巨大化していきました。大和朝廷の元祖は、奈良盆地から勢力を拡大することはほとんどできなかったようです。ただ、弥生時代が終わると、銅鐸文化はこの国から消滅してしまいます。そのかわり、全国に巨大古墳が作られるようになっていきます。

昨今、平城遷都1300年とかで、キャラクターが気持ち悪い(セントくん、マントくん)とか話題になっていますが、本当の古代史ファンならば、はるか2000年前の銅鐸文化を偲んで欲しいものですね。

マスコットもドウタくんなら、キモくないでしょうし。


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Cecilia

私が勤務していた高校では一年生で「鐸を追う少年」を扱っていました。
http://kodaiyujin.fc2web.com/yume.html
ここのサイトにも出ていますね。

セント君・・・どうなるか興味深深です!!
by Cecilia (2008-06-26 22:48) 

降龍十八掌

Ceciliaさん、ありがとうございます。

鐸を追う少年ですか?面白そうですね。まったく知りませんでした。
なんせ、馬を追う元・青年なもので・・・

マントくんですが、これじゃ、おじゃる丸のデンボにそっくりで、インチキくさいですよね。
by 降龍十八掌 (2008-06-26 23:04) 

collet

降龍さんのおっしゃる通り!!
ホントにそうです!
あのキャラクターには唖然ボウ然です!
古代の神秘さの欠片もなくて!どうしてあんなのが必要なのか?
ドウタくん、大賛成!!!(^^)!
by collet (2008-06-27 12:41) 

降龍十八掌

colletさん、ありがとうございます。

セントくんは、一休さんに角が生えいますね。

銅鐸は当時は金ピカだったろうと、いわれています。なんとも幽玄な光景を想像しますね。
by 降龍十八掌 (2008-06-27 21:34) 

降龍十八掌

yumaさん、どうもありがとうございます!
今後とも宜しくお願いします。
by 降龍十八掌 (2008-06-27 21:34) 

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