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千里を行く名馬 [考証]

今日は、現代競馬では珍しくなってしまった長距離3200mのGⅠ天皇賞が行われました。

正直言って、3000mやそこらの距離が長距離だなんて、あまりにおこがましい言い草なのですが・・・ 。

だって人間でもマラソンでは40キロは平気で走りますからね。もっとも、途中でダウンしちゃう人もたまにはでちゃいますけど。昔のイギリスでは20キロや、それ以上の競馬も行われていたとは思います。もっとも、その場合、馬よりも騎手の方が先にばてちゃうかもしれませんね。まあ、ギャンブルとしての競馬では、何十分もかけるわけにはいかないので、最近はどんどん距離の短縮化が世界の流れのようです。

さて、漢字の世界では一日千里を行く名馬というのがいますね。 いわゆる、西域から来た赤馬と呼ばれる馬は有名で、三国志の呂布・関羽の愛馬として登場します。一般に日本では、一里というと約4kmということになっていますが、それを当てはまると、千里=4000キロですから地球を3分の1周もしてしまいます!

このことわざは、荒唐無稽な誇張表現なのでしょうか?例えば、ウソ800!とか、針1000本!飲~ます、とか・・・。確かに、そういう可能性もあるでしょうが、もう少し現実的な可能性を考えてみたいと思います。馬は現代でいえば、車と同じですから、その宣伝文句がいくらなんでも、リッター1000キロ!とか最高速度500キロ!とかあったら現実的な商品取引は成立しないからです。 

そこでという単位を考えてみましょう。千葉・茨城のあたりにある有名な九十九里浜ですが本当に

4km×約100=400kmもあるのか?そんなはずはないですね。東京から新潟までがそれくらいの距離ですから。調べてみますと、里という単位は、関東と関西では違っていたらしい。江戸時代の関東の里というのは

1里=400m~600m

とあります。もともとは面積の単位だったようで、後にその正方形の一辺の長さに相当する距離の単位に用いられるようになったようです。九十九里浜も源頼朝が槍か何かを立てて、その本数が99本あったことから名前がついたと言われているようです。これも、当時の弓矢が飛ぶ距離が1里(4~500メートル)ぐらいだったのかもしれません。

一方、関西では約4kmで、(坂の加減などによって一定ではないにしても)人がだいたい一時間当たりに歩く距離が違ったものを反映しているようです。たとえば、畳1畳(じょう)が人間の身長、米一石が一人の人間の1年間あたりの消費量のように。

さて、関東風の1里=400mとして千里を計算しますと、千里=400000m=400キロ となりますが、これでもまだ常識的に無理ですね。馬はスピードがある割りには、スタミナに欠けますから。しかも草食動物なので大量の草を食べる必要がある。

では、本場中国の里とはいったい、どんな距離なのか?残念ながら、時代によって距離が違います。しかも、具体的にその距離について説明した文章がないらしく(当時の人には当たり前のことなので、いちいち説明する必要がなかった)、完全には解明できないようです。ただ、古代の周王朝と、秦・漢では距離が違っているそうです。つまり、有名な秦の始皇帝による度量衡の統一の時に、前王朝とは里の単位をガラリと一変させたようです。いわゆる、一里=400m程度というのは、この漢の時代の基準のようで、現在も朝鮮半島では、同じようです。

時代や地域によって、中国での里は一定していない。しかし、日本では誰でもしっている有名な魏志倭人伝には、『帯方郡から邪馬壹国まで1万2千里』としっかり載っています。魏は漢を滅ぼして(形的には禅譲)建国した国です。この12000里を従来の漢里(400m)で計算すると、4800000m=4800キロで邪馬壹国は赤道を越えてしまいます!こんなバカなことを正史に記載するはずはないですね。これはやはり、魏という国は、漢王室とは違う単位を制定してたと考えるのが妥当です。そもそも、朝鮮半島の南東までは七千里とちゃんと記載してあるのですからね。ということは、朝鮮半島の距離を7000で割れば、魏志の里が何メートルなのかカンタンに割り出せます。計算しますと、一里=75~90mです。おそらく75mぐらいだったとういのが事実のようです。

三国志では、同様に有名な赤壁の戦いの記載においても、同様のことが判明しました。なぜなら、長江(揚子江)の川幅は今でも500mぐらいなので、途中で呉の軍隊の船が北岸に近づいたとき、魏軍が矢を放ちます。これが、2~3里だったと書かれていますから、150~200mぐらいで、通常の矢が飛ぶ範囲であることは明らかです。もしも一里が400メートルもあったら、向こう岸にまで届いてしまいますし、そんな長い間飛行する矢は、カンタンに避けられてしまいます。

ということで、千里の名馬とういうのは1日に4000キロも走るペガサス(走るというより空を飛ぶ)ではなくて、1日に80キロ程度 は走れる超スタミナ血統の馬という意味であると考えるのが一番妥当のようです。まあ、サレブレッドには無理ですが・・・。因みにスタミナならば、アラブ馬のほうが優秀です。

なお、昔の周代の里が本当にどの程度の距離だったかは、はっきりとは解明されていません。


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コメント 4

Sanchai

勉強になりました。千里と聞かされて「あ、そう」と納得してそれをキロメートルに換算しようともしてなかったので、全然気付きませんでした。
by Sanchai (2008-05-05 11:20) 

降龍十八掌

Sanchaiさん、ありがとうございます。
いまだに納得しない、某国の歴史学会もありますよ。(冷笑)
学問的な真実よりも、東大や京大の面子にこだわるエセ学者が多いので、教科書も捻じ曲がったままです。
まさに、品格なき国家です。

by 降龍十八掌 (2008-05-05 22:10) 

たいちさん

「里」が関西と関東で違うことや、時代によっても違う事を知り、勉強になりました。文章のあちらこちらに歴史を感じますね。
by たいちさん (2008-05-08 16:20) 

降龍十八掌

たいちさん、ありあとうございます。
中国には尺や丈・歩や里という二種類の距離体系があるとういことらしいです。王朝交代により、距離体系が変わったのは十分ありえること推察します。ナポレオンもメートル方を採用しましたからね。
それにしても、こんなことに気付かない歴史学者ばかりだったことが、日本の悲劇ではないかと痛感します。まさに、品格のない国家です。
by 降龍十八掌 (2008-05-08 22:32) 

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