聖書はテレグラムで書かれたのではない! [超常現象]
馬券本はスポーツ・趣味コーナーなどで売られている。もっともひどいところになると、なんと
占いコーナーに置かれている!たちの悪い冗談だ。
もっとも、宗教コーナーに置かれないだけマシだろうか?確かに一部の良本以外は肉屋で魚をるようなひどい内容のものばかりなのも事実なのだが。
さて、話題のダビンチコードでは、『聖書は天国からのテレグラムで書かれたのではない。人間によって書かれたのだ。』という名文句が紹介されていた。
けだし名言であろう。ニーチェの『神が人間を創ったのではない。人間が神を作った。』という言葉にどこか似ている。もっとも宇宙論やDNA研究の本を読むとまさに神がいるような気もしてくるけど・・・
ただ、聖書が人間によって書かれたというのは動かしがたい事実である。キリスト(というかイエス様)が神かどうかも会議の投票で決まったというから。まあ、何を信じようと自由なわけですが、奇跡を起こしたからというような詐欺まがいのカリスマ性でなく、
教えの内容で勝負
してほしい。その内容自体にこそ価値があるわけですから。内容のないものに限って全レース的中とか派手な見出しをつける。要するに、それ以外に売りにするものがないからだ。大切なのは偶然の的中ではなく、結論を出すまでにいたったアプローチ方法である。たとえ最後に一歩の詰めで、しくじったにせよその努力はその後の戦いの糧になろう。
過去の歴史、現在の状況を見ると、いかに聖書の教えと行動がかけ離れているか?小泉政権の掛け声と実態ほどかけ離れているのは明らか。
サラブレッドは競馬番組表の中を走っている。競馬番組表こそ、馬券界の聖書なのだ。そして、そこから見るパノラマは血統論やタイム理論信者が決して見ることのできない壮大な景観となのだ。
・・・信ずるものは救われる。
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