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プリンスof筑紫 [歴史]

イギリスの世孫さまが結婚するそうだ。アンドリューじゃなくて長男のウイリアム王子のほう。お相手はケイト妃。父のチャールズは皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ)と日本では呼ばれるが、イギリスは王国なので王太子と呼ぶべきだそうだ。ちなみに韓ドラでは、太子とよばずに世子(セジャ)とよぶのだが中国に遠慮してのことかもしれない。

プリンス・オブ・ウェールズの呼称は、13世紀に始まるという。イングランドがウェールズを征服したときに、王のエドワード1世は身重の奥方のエリナー妃をウェールズの居城に連れてこさせて、そこで王子を産ませた。こうして、見よ!この子供はウェールズで生まれて英語(イングランド語のことか?)も話さない・・・とウェールズの王だと宣言した。もっとも、当時のイングランド王家はノルマン王朝の後裔だから英語でなくてフランス語を話したはずですが・・・。

これた似たような話が日本書紀にある。嶋君(後の百済武寧王)だ。百済の王様が弟の軍君昆伎が倭国に赴く時に、側室を与えて、途中で男子が生まれたら送り返せ・・・と命じた。女性は筑紫(チクシ、ヤマトととも読む)の各羅嶋で男子を産んだのだ百済に送り返した。彼が武寧王である。こうして、武寧王は名実ともに倭国の相続権も主張できたわけだ。(倭は朝鮮半島南部と九州一帯のこと)

後に継体天皇は、朝鮮半島の一部を百済に割譲した。百済と倭国、フランスとイギリスの関係は非常によく似ている。その後、後発国のアメリカと日本が本国を凌駕した点もそっくりだ。


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たいちさん

英国と韓国の類似点については、参考になりました。
by たいちさん (2011-04-30 00:12) 

降龍十八掌

たいちさん、ありがとうございます。
フランスとイギリス、アメリカの関係を参考に日本・朝鮮を分析する歴史学者がこの国はまずいないということなので、あきれてしまいます。
西欧では、トロイ戦争なんかも第一次世界大戦と同じ構図だといわれるようです。
by 降龍十八掌 (2011-04-30 11:14) 

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