淵蓋蘇文(第7話)~遼河の戦い
隋軍8万は遼河(ヨハ)を渡る。しかし、それは高句麗軍の罠だった。(莫離支の知恵)凍った遼河を進む大軍の重みに、火矢と投石で氷が割れ、隋軍は壊滅する。高句麗は第26代平陽王の親征であった。
一方、新羅の首都・除羅伐(ソルボル)では。金庾信(キム・ユシン)ら4人の子供をつれて、皇太后に会いに来た一行がいた。その中には、若き淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)が。庾信の母は、新羅マン皇太后の娘であり、直継の王女だったのだが、父は伽耶の王族のため駆け落ち!していたのだ。だが、時が過ぎ、殺したいほど憎んだという皇太后も二人を許す。庾信のりりしい顔立ちが気に入った、皇太后は幼い庾信に夢をたずねる。
三韓統一です!
と答える庾信。幼いうちから男の子は大望を抱かないと・・・と皇太后はこの子は神童だと言って喜ぶ。新羅も登場となると、このドラマ、善徳女王も登場するんですな?
隋の文帝は、敗戦の責任を叱責する。大勝の五男ヤン・リャン(漢王)と次男ヤン・グァン(晋王)を自ら打擲する。ヤン・ソとコ・ギュン二人の宰相も、自分らの責任ですと詫びる。
遼河での大敗を聞いて、怒った文帝は漢王を処刑すると激怒するが、皇后(漢王の母)は兵士の命は虫けら同然、だが息子は数名しかいないのですよと命乞いする。一方、長男は出兵を願いでるが、皇后(継母か)からオンナ癖の悪さを指摘され、すごすご引き探る。次男晋王(後の煬帝)は、皇帝お気に入りの若い側室に接近する。
復讐に燃える隋は、再び軍隊を派遣する。一方、高句麗は、大臣の許可を得て15万の援軍が来ることになった。これが有名な隋・高句麗戦争の幕開けだった。
とにかく執拗に高句麗征伐にこだわる隋帝国。この後、煬帝は倭国の天子からあの有名な無礼な手紙を受け取るわけだが、倭国征伐は行わなかった。この軟弱ぶり?を批判されて身内からクーデターを起こされて隋は滅亡、唐帝国となるのだが、唐は名分を通して百済、倭国、さらに高句麗を滅ぼす。つまり、唐が隋書に倭国の記事を書いた理由は、この軟弱度を批判する意図があったようです。(歴史書は次の王朝が書く)
唐の挑発にまんまと乗って倭国は滅ぶのだが、これはアメリカ軍の挑発にのって国を滅ぼしたN国と同じってことですね。歴史は繰り返す・・・・・・。
「歴史は繰り返す」、愚かさを表す、言葉ですね。
by たいちさん (2009-10-20 17:27)
たいちさん、ありがとうございます。
まあ、よく言えば、根性があった、義を通したといえますし、悪く言えば、愚かだったというところでしょうか?
by 降龍十八掌 (2009-10-20 19:35)