歴史学が宗教である国 [歴史]
歴史学とは学問であって、社会系の科学でもある。
しかし、ある国の歴史学は、なんと科学ではなく宗教なのです。そして国の歴史学会は、宗教組織であり、しかも、北朝鮮以上に閉鎖的・唯我独尊的組織だといいます。
科学的・合理的な疑問には『だんまり(しかと)』を決め込み、ウソと屁理屈で満載の教科書を子どもたちに覚えこませる。これはまさに宗教です。だって、理由も無く信ずる!というのですから。
確かに、中国の正史にしろ、孔子さまの考えにしろ、ある程度のイデオロギー(中華思想)が入っていることは否定できません。ですから史記を完成させた司馬遷もりっぱですが、それ以上に『エジプトはナイルの賜物』という言葉で有名なヘロドトスはりっぱであると、古代史の白眉・古田先生は書かれています。
ヘロドトスという人の学問態度は本当に、真実を追究し、先入観と偏見を排除するという方針に貫かれているというのですね。たとえ、自分が理解できないことでも、その地方でそういわれているからには、そういうものがあるのだろうと推定する、まことに真摯な学問態度なのだそうです。
さて、ある国の歴史観が捻じ曲がってしまったのは、江戸時代の本居宣長の国学や水戸黄門で有名な水戸学の影響のようです。
ある国の歴史学会の教義をご紹介しますと・・・
第一条 和を持って尊しとなす
天皇制に都合の悪いことは、疑問をいだかない=みざる、いわざる、きかざるの法則
古事記と日本書紀は、一般的には大同小異と思われています。(私もそう思っていました。)この点については、教科書では『だんまり』を決め込んでいますが、実は重要な問題を包含しているのですね。それはエピソードの多少の異同とかいった瑣末な問題ではなく、
どちらも書き始めは神代の時代から始まっているのに、終わりの時代が違う!
ということなのですね。書き出しが神代であることは誰もが納得できると思います。(もちろん、神代の時代の内容自体が真実であるという意味ではありませんが)。しかし、同じころに成立したと思われる古事記と日本書紀で、なぜ、終わりの時代が違うのか?
古事記では、天皇の系譜や治世の年月などは推古天皇(33代)までは書いてあるのですが、具体的なエピソードはかなり前の時代の顕宗天皇(23代)の前あたりで終わっているのですね。この顕宗天皇というのは兄の仁賢天皇(24代)とセット販売(この兄弟のエピソードはとても面白いものです)みたいなものなので、実質的に以前の記事で書いた25代・大悪天皇=武烈天皇の前で終了しているということです。
まともな人なら、『はて、皇統譜があるのに、なぜエピソードがないの?』と不思議に思うことだろう。しかし、こういう質問はこの国ではタブーなのである。だって、三流芸人じゃあるまいし、『いるにはいたけど、歴史書に残すようなかくたる業績はなし!!』なんて、あまりに不敬で言えませんからね。
tyoさん、はじめまして。どうもありがとうございます!
by 降龍十八章 (2008-02-01 20:55)