SSブログ

篤姫の謎 [ドラマ]

薩摩藩の篤姫が将軍家に嫁入りし、最後の大奥を仕切ったという。

ただ、素朴な疑問は、なぜ薩摩藩が正室を出すという、日本史の常識からは正反対のことが進められたのか?不思議に思う。詳しくは、今後のドラマの中で、わかっていくだろうが、一応調べてみると・・・

1 将軍家の正室は、基本的には宮家あるいは五摂家から選ばれる。                    

    よって大名、しかも外様大名から選らばるのは非常識。なぜならば、外様大名が将軍の舅つまり  外戚になってしまうからだ。

2 篤姫が嫁入りできた理由?

 11代将軍家斉がオットセイ将軍といわれたくらいの子沢山であったことは有名だが(50人以上いましたね、昔のドラマ大奥では二代目水戸黄門の西村晃が演じていました)、そのときの正室が薩摩藩島津家の先輩御台所の広大院・茂姫であった。よって、その目出度さにあやかって薩摩藩からの嫁入りが可能になったとあるが、ホンマかいな?

 もっとも、この茂姫にしても、将軍家と婚約していたわでなく、もともとは一橋家の豊千代(後の家斉)と婚約してだけであり、豊千代が将軍家に養子となったために御台所になれたに過ぎない。しかも反対があったため、一度公家の近衛家の養女近衛寔子(このえただこ)と改名)になるという形をとって初めて可能であったという。だた、この近衛家も実は島津家と姻戚関係であったわけですが。(ドラマでは近衛家の子孫を春風亭小朝が演じている)

 この先例にならい、篤姫も篤子ではなく、近衛家の養女という形をとり、近衛敬子(すみこ)と改名している。だから、ドラマ『篤姫』も本当は『敬姫(すみひめ)』とすべきなんですね。でも、スミヒメではゴロが悪すぎる・・・

3 御台所に権力はあったのか? 

 そもそも大奥ができてから将軍の正室・御台所が男子を産んだことはない!(ドラマ大奥でもやっていたが、妊娠しないような薬を食事に混ぜていた。)基本的に公家・宮家・外様の血を引く将軍が生まれたら騒動の原因になるかでしょうね。むしろ、それが御家を守る大奥の目的だったのでしょう。 

 唯一の例外が、さきの広大院ですが、男の子(五男)を産んだのはすでに世継ぎが決定した後でした。しかも、次の子は流産。また、産んだ子も清水家に養子に出しますが、3年で死んだといいます。きっと殺されたのではないでしょうか?

 すると、薩摩藩が御台所を出したとしても、世継ぎは産めないわけです。しかし、それでも何としてもこの婚姻を成立をさせたかったいうことは、名前だけの正室とはいえ、御台所にはそれなりの権力があったということなんでしょう。

4 老中がなぜ、薩摩藩と手を結んだのか?

 もちろん、薩摩藩が正室を出すことは老中たちの協力がなければ、できないはず。一体なぜ、外様大名と結びつく理由があったのでしょうか?


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。