SSブログ

古代史を探る [歴史]

最近、関裕二さんの著書の影響で日本古代史にはまっている。

古代史の醍醐味といえば、やはり邪馬壱(台)国と古事記・日本書紀である。最近はいろいろな説が登場してきており、これは誠に結構なことである。今回、いろいろと調べてみて感じたことは次の二点。

1 古事記・日本書紀にはけっこう、真実や本音が隠されている・・・こともある

2 大和、日本は違うらしい。

従来の邪馬台国論争がヤマト=大和朝廷というゴロアワセと万世一系の天皇制という妄想から出発しているのは、よく知られている。しかし、有名な三国志・東夷伝・倭人の条(いわゆる倭人伝)などを読む限り、古代の倭(国)と後世の大和、日本は異なるものである・・・というしかない。 

izeさらに驚くべきことに皆が教科書で習った

漢委奴国王(いわゆる金印)は従来のカンの・ワの・ナの国王ではなく、

カンの委奴(イト、イド、イナ、ワナ?)の国王と読む方が自然らしいのだ。

従来は委=倭の人偏と省略したもの、との考えが支配的だったのだが、これは日本といえば倭でしょう!とういう思い込みがあったからである。

しかし、正式の印綬に使われる漢字が省略されることは、まず有り得ないことという。しかも、印綬には漢ノ○○国という文句はあっても、漢ノ○○国ノ□□国という二重書きのパターンはないという。確かに倭人伝にはお馴染みの奴国狗奴国など、やたらにこの奴の字が使われていることからも、当時(奴国などの先輩にあたる)の国名と考えてよいようだ。(というより、考えるべきか)

もっとも、この読み方(発音)がはたしてイトと読むのかどうかは不明。読み方によっては

イヌ国とも読めますから。うーん、確かに今はアメリカ、昔は中国のだったかもしれない。

さらにまた、このイヌ国(従来、奴国とされた国)の位置も、私には疑問だ。確か、志賀島(シカノシマと読むのかな?福岡県でしたか?)で江戸時代に農夫が発見したと習った記憶がある。そこで、従来からのこ奴国は福岡にあったというのが通説となってしまった。でも、これって変!なぜなら、金印だけあって宮殿などの遺跡があるとは聞いたことがないからだ。今、志賀島のサイトを見ても『なぜ、金印がここで発見されたのか不明』と書いてある。銅鐸と同じように本物ではなくて、国内産・模造品の可能性もあるからだ。

以前にも書いたが、邪馬壱国(いわゆる邪馬台国)は沖縄か南部九州と考えるのが一番妥当。固有名詞が今の日本語とかけ離れているのも、沖縄方面と考えれば納得がいく。また記述されている気候、風土、風習、植物からも熱帯地方であることは明らかである。

そしてなにより皇国史観の聖書である『日本書紀』自体が、皇祖である神武天皇が日向(今の宮崎というのが通説、また福岡県にも同名の地名があるという)からやって来たと書いてあるからだ。しかも天孫降臨の地も同じく宮崎県の霧島(むかし大関がいましたね、私ファンでした)と書いてあるからだ。いくら作り話だとしても、わざわざそんなウソを書く必要がありませんからね。少なくとも、天皇の祖先が南九州から来たという伝説があったか、あるいはそういう設定にする必然性があったからでしょうから。

 

 


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

ボストン・リーガルマジック点灯! ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。