ビバ!およぐひと [国語]
およぐひと の解釈・鑑賞に挑戦したい。
およぐひと
およぐひとのからだはななめにのびる、
二本の手はながくそろへてひきのばされる、
およぐひとの心臓(こころ)はくらげのやうにすきとほる、
およぐひとの瞳(め)はつりがねのひびきをききつつ、
およぐひとのたましひは水のうへの月をみる。
因みにこの作品は詩集『月に吠える』の中にある短編なので、本当はその流れの中で捉えるべきかもしれないが、それでは国語の試験問題とならないので、あくまでも単独の詩として解釈していかねばならない。
一般的に短い詩ほど、逆に解釈は難しい。まず、最初の行、『からだはのばされる』ではなく『からだはのびる』という能動態を使い、逆に二行目では『ひきのばす』ではなく『ひきのばされる』という受動態を使っている。いずれにしても客観的な描写である。ここにはおよぐひとの意思は感じられない。無機的な雰囲気が感じられる。
さて、最初の『ななめにのびる』という表現からして、やや不明。常識的には1・2行目から、平泳ぎしている人を斜め上から見ていると考えるべきかもしれない。あるいは、1行目は真横から見た描写で、2行目は真上から見て、両腕を伸ばした瞬間なのかもしれない。ただ、その場合は二本の手ではなく二本の腕と表現すべきだろうか?私見ではあるが、もしかして、ななめというのは水面による光の屈折を表しているのかも知れない。
しかし、3行目以降から明らかなように、この詩は単に海水浴している人を見ている詩ではないであろう。作者自身のこころ=魂の問題ではなかろうか?とにかく3行目以降でこの詩は常識の世界を飛び出す。つまり観音さまのごとく、目で音を聞き、魂で月を見るのだ!
最終行の『水のうへの月』も、単に水面の上=空の月と考えるべきか、また、水面に移っている水面上の月と考えるべきだろうか?またつりがねの響きとは一体、何なのか?まさか、プールから上がりなさい!の合図の鐘の音ではあるまい。ましてどこかのお寺の鐘の音ではないとおもうのだが・・・
朔太郎は卒論のテーマでしたが、実はこの詩は去年知りました。(自分が中学高校のころはやらなかったし・・・。言い訳ですが・・・。)
朔太郎にしては健康的な部類の詩なのかもしれませんが、ゆらゆらした感じが幽霊っぽいですね。
「つりがね」というのも”死”を連想させるし、水やくらげ・・・の透明感もちょっと怖い感じがします。
小学校の教材なので、「おもしろい表現」ということになってしまうのでしょうけれど・・・。
いや~解釈は難しいですね~。
by Cecilia (2007-08-02 09:12)
Ceciliaさん、ありがとうございます。
幽霊とか死とか、やはり人によって受けるイメージは違うのですね。
有名な女性詩人の解釈ですが、確かに言われてみれば、くらげのようというのは、水と一体になるほど泳ぎに没頭していることの例えかもしれませんね。
そして、没頭しているがゆえに、目は視覚として機能を果たさず、魂が遠い月まで見通してしまっているのでしょうか。
by 降龍十八章 (2007-08-03 00:11)