乙子(いっし)の変 [歴史]
最近は『大化(たいか)の改新』を『乙子(いっし)の変』というらしい。
どうやら、『大化の改新』がそんなにたいしたものではなかったと考えられるようになってきたためらしい。
これまで天智天皇(中大兄皇子)の傀儡政権だと思われていた、孝徳天皇(軽皇子)が実は、本当の主役だったのではないか?という説が主流になりつつあるようだ。つまり、悪いことを全部、天智天皇の仕業にしたてたのではないかということだ。
もし本当なら、軽いどころか、とんでもなく重みのある人物だったということになるが・・・
しかし、そもそも蘇我とか物部氏とかが本当にいたのかはなはだ疑問。
もし、いたとしても、その場合は蘇我氏こそ本当の朝廷だったのではないか?
というか、全部、全くのでたらめということも大いにある。(マルクス史観?)
そもそも、巨大古墳がいったい何なのか?なぜ作られなくなったのか?古事記や日本書紀にはその記述がないのかいな?
さて、古代の天皇交代は直系より、傍系への代替わりが多い。これって、本当はクーデターや反乱で、血のつながりなんて無いと考えるのが、まともな頭脳の持ち主が思うことだろう。
120代以上つづく、伝統と歴史???
21世紀の時代に、まだそんなことを信じている人がいるらしい。
S学会や北K国と同じレベルでないか?
「ご懐妊」の日にプリンセス・キコという蘭が咲いた・・という報道には「北」の将軍様の誕生日に奇跡が起こるという報道に似ているかも・・・と思いました。
by Cecilia (2006-09-12 09:21)
Ceciliaさん、ありがとうございます。
悠仁さま、とお名前が決まったようですね。(電車の中で、見出しを見ました)
皇室の危機?はこれで去ったのか?
という記事が早速、文芸春秋かなんかに出ているようです。
by 降龍十八章 (2006-09-12 23:53)