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帝王の娘・スベクヒャン [韓国ドラマ]

帝王の娘・スベクヒャン (守百香)

常BSの番組なので、気付かず途中から(20話すぎぐらい)から見ておりました。おもしろかったですねぇ~。今日で最終回でしたが、5月からCSで再放送。1話からしっかり録画したいと思います。

時代設定は、有名な百済・武寧王(ムリョンワン)の時代。歴史書では、よく目にする名前ですが、こうしてドラマになるとイメージがわきます。前半を見ていないので、よくわかりませんが先王である従兄の東城王を倒して百済中興の祖となったようです。

武寧王の息子が聖王。新羅軍につかまり、一兵卒に首をはねらてしまった悲運の王様です。日本の聖徳太子同様、悲運の王族には「聖」の文字が付けられるようです。殺人事件の被害者が全部「美人」になってしまうのと同じ論理のようです。

今まで、武寧王とか東城王とか歴史書では見ていても、具体的なイメージはまったくなかった。しかし、再度歴史書を読み直してみると、東城王は朝鮮の歴史書でも「殺された」とは書いてありません。本国は従弟の武寧王に任せて、自信は日本に渡ったという可能性はありえそう。そして、この東城王が日本書記にいう「継体天皇」であるというのは、時代的にも年齢的にもピッタリというわけです

継体天皇は日本書記では、応神天皇5世の孫。まあ、5世代後の孫といったら、ほとんど他人です。皇族離脱の血統です。(はるか後の奈良か平安時代に5世までに拡大されそうですから)

しかも、途中の経歴が記載されていない=伝承がなかったか、あえて隠したか。継体天皇は、もともと新潟と群馬の県境の三国峠あたりにいたそうですが、大和から天皇就任要請を受諾後、20年後ぐらいやっと大和に入ったという不思議な天皇です。後継者の途絶えた大和朝廷を受け継いだというよりは、徐々に侵略して簒奪したというのが自然な理解でしょう。

もともと「継」という字は血統の断絶を意味するそうで、本来の血統的な委譲であれば「嗣」という文字がつかわれるそうです。

日本書記は、一応「万世一系」という建前をとるので、このような記述になったというのは、今は常識となっています。この時代前後から、日本書記はほとんど百済記といっていいほどの内容で、朝鮮本国では散逸してしまった、「百済本記」などの転用記事ばかり。大和朝廷というよりは、百済朝廷といったほうがいい。

もちろん、記述は日本の天皇が主人で百済王が臣下という立場で記載されるのが日本書記。実際の立場は真逆だったろうと思われるが。


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コメント 2

たいちさん

私もCSで見ますね。
by たいちさん (2015-05-01 08:06) 

...

百済や新羅などを主にした三国史記には日本の出番が少ないのは疑問に残るところですね。もし逆なのであれば中国の歴史書のように日本は百済の植民地だったと胸を張ってかかれててもいいはずなのに・・・
by ... (2015-07-18 15:34) 

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