SSブログ

偉大なる芭蕉④ [国語]

このたびはたただ伊賀忍者だと思っていた芭蕉の思わぬ一面を知った。汗顔のいたり・・・[ふらふら]

さて、俳句にしろ和歌にしろ、実際に作品鑑賞となれば時代背景や作者の心情などはわかるはずもなく、作品の文字のみで解釈すべきだ。だから、読み手のレベルや解釈しだいでいかようにもなる。

私も昔、国語の過去問で、次のような文章を読んだことがある。上の句は忘れたが

ここにも一人 〇〇〇

だったか?月夜の晩に自分と同じような(志の)人間を見たというのが一般的な解釈。だが、人によっては、そうではなくて、月に向かって自分を差して「ここにも一人」と名乗り出たという解釈も可能なのだ。もちろん、後者のほうがはるかに遠大なスケールを感じる。

さて、万葉集などをただの歌集としてみれば、ただの恋愛の歌や風景描写の歌と解してもいっこうにかまわない。だが、なぜ、これらが長い間焚書として隠し続けられたのか?ある日は「読み人しらず」などとされるのか?

万葉集は単なる芸術としての歌ではなく、歴史的資料として解釈すべきものだ。高句麗・百済が滅ぼされ倭国が壊滅の危機の時代に、のんびり恋歌を歌っているわけがないだろう!

芭蕉の俳句が字面だけでは到底、その真意を測りがたいのと同じはないか。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

偉大なる芭蕉③偉大なる芭蕉⑤ ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。