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六大教育家 [教育]

昨日初めてみた八重の桜。八重はまだ結婚していませんでした。娘だと思ったら、どうやら姉の娘らしい。なぜか兄の京都のうちに居候。ここから学問の世界で薩摩・長州に復讐するといった決意。

そのとき、夫になる新島襄さんはアメリカ。通訳として働いていた。なんとなく関東の人かと思っていたけど、同志社大学は関西だから新島さんも関西人?・・・と思ったのですが、調べたら上州(群馬)の人で生まれは江戸でした。何しろ、歴史の教科書では下段の注にチラッとでるくらいの人物ですから、詳しくは知りませんでしたね。帰国後、懇意にしていた京都の公家さんの屋敷を借りていたので、関西に大学をつくったようです。しかし、46歳くらいで死んだそうですから、もったいないですなぁ~。

それと、気になったのが捨松さん。この女性は誰かと思って調べたら、西郷さんのいとこの大山巌の後妻となり、鹿鳴館で大活躍、津田梅子を経済的に援助したやり手だった。美人で長身で、不細工だった八重さんとは対照的な人だったようです、


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コメント 1

collet

そもそも新島襄は神学校設立のために大阪に来たのですが、
その時の大阪府知事がキリスト教嫌いで認められず、
その代わりにと、木戸考充の世話で京都になったそうですよ。
ちなみに、東京には別の会派が進出していて出る幕ナシだったそうで・・・

by collet (2013-08-14 14:10) 

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