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古事記の秘密② [考証]

日本書紀にあって古事記にない逸話。つまり古事記にないのに、日本書紀にはある逸話。それは

景行天皇の熊襲(くまそ)征伐記

古事記では、景行天皇(第12代)ではなくせがれのヤマトタケルが父(アボジ)景行天皇の命令で熊襲征伐を行ったことになっている。

特異なのは、日本書紀の天皇親征記事では、往路・復路ともに九州内部の詳細な地名が列挙・記録されている。

これは、古事記のヤマトタケルの熊襲征伐でも、後の時代の仲哀天皇(第13代、ヤマトタケルの息子)・神功皇后(その妻)の熊襲征伐記事においても地名はほとんど出ずにいきなり戦っていること比較すると異様である。つまり、古事記編纂時において細かい地名までは記録に残っていなかったか、もしくは暗証者の稗田阿礼が覚え切れなくて忘れてしまった?・・・ということになるだろうか?

いや、そうではあるまい。日本書紀にこのように細かく地名が描写さえたことは、倭国が滅んだ白村江の戦い以降に倭国を併呑した大和朝廷=日本国が倭国の歴史資料を獲得してパクッたと推理したほうが可能性が高いだろう。

つまり、かつてあった本当の倭国(本拠は筑紫一円)による東~南九州征伐記録を景行天皇に置き換えて追加するという日本書紀の特異の編集パターンであった可能性が高い。手の込んだウソをついたばかりにウソがばれてしまうというパターンですね。

偏差値30の文章の中に突然、偏差値70近い文章が入り込んだら、これは異彩を放つわなぁ~。


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