SSブログ

センター国語は受験生へのメッセージ [国語]

今朝は、昨日の国語をやってみた。古文で思わぬ不覚を2問やってしまった以外は全問正解。やはり、『出口の国語』で鍛えた手法は素晴らしい!

国語の試験には正解は一つしかない!・・・のだ。確かに、個人で読書する分には、何をどうか考えようが自由なのだが(良心の自由は憲法で保障されている)、ひとたびテストとなった場合には、課題となった文章に書いてあることだけが唯一のルールブックなのだ。ゆえに、本文に書かれていることだけを選択肢から選べば、必ず正解にたどり着くという論理ゲームなのだ。

国語の試験というのは、日本語の試験ではなく論理学の試験であるのだ。

今回は、例年にくらべて論説・小説ともにとても分かりやすい文章であった。古文も鎌倉時代のものなのでほとんど現代語とかわらない。しかも源氏の義朝(頼朝・義経のオヤジ)の話なので誰もがなじみのある話。漢文も孔子の話なので、平易なものであった。

私のやり方は、まず漢文⇒古文とこなして、残った時間で現代文をやる。なぜなら、いきなり最初の論説から入って苦戦した場合、大幅な時間をくってしまうので大焦りで、漢文・古文に取り組むことになってしまうからだ。

さて、その漢文は『遜』『敏』についてがテーマ。もちろん、現代語でいう謙遜と敏捷・敏感(あるいは敏い)の意味とは多少違うのだろうと思われる。特に、『敏』の方の意味が、ちょっと不明だ。よってここがポイントになる。昔、殷王の武丁が傅説(ふえつ)に問うた答えからの引用だとういう。

もちろん、漢文だから正確な意味は分からない。だが、設問の選択肢から敏=進んで学ぼうとすること・・・ということが分かる。そして、本文の前段では、くだんの傅説(ふえつ)は、『謙遜』と『敏』はどちらも大切だと述べている。(二者は固より、偏廃すべからざる也

後段では、時代は下り孔子と門弟の話となる。いわく、孔子は大聖人ではあるが、自らは『私は生まれながらに道を知っていたわけではないよ』と言って謙遜している。そして『昔のことを好んで、敏にしてして追求したんだよ』と。他日、弟子の顔回らが自分たちは『敏』ではないと言って謙遜している。しかしながら、彼らの仁や孝の徳が他の三千の弟子たちの中でぬきんでいたことは誰も知っている。どうして彼らが『敏』でなかったと言えるだろうか?(いや、言えはしまい。)

筆者の意図としては、、『遜』と『敏』ともに大切だが、特に『敏』=自ら積極的に学ぼうとする気持ちが重要だ・・・と言っていることがわかる。よって本文における『敏』は、敏捷とか敏感という意味ではないことがわかる。つまり、これはハングリー精神のことを言っているわけだ。

ハングリー精神というと、よく貧乏精神だと勘違って使われているのだが、イチローは貧乏だろうか?そうではないのだ。貧乏だからガッツや根性があるわけではない。自分はまだまだと思う向上心、飽くなき欲求心のことこそ本当のハングリー精神なのだ。

 

 

問1(2)所以  日本語ではゆえん。理由と意味で通常使われる。

中国語ではソイ・・・だったかな?歌の歌詞でもよく見る単語。ただ、この設問では(理由)(だから)という選択肢がないので、文脈に合うものを選ぶしかない。多分、ここは一番正答率が低くなるだろう。まあ答えは④か⑤のどちらかなので、運しだいか?

問3 也 『ナリ』とも読むし、反語・疑問の『ヤ』とも読む。ただ、日本人には区別がつかないだろう。

そういえば、倭国についての文章で、倭は極南界なり!と読むか、倭は南海を極むるなり!と読むかでえらく意味が違ってくるってのを思い出すなぁ~。史記かなんかではアラビア辺りの古老の話から、大西洋の向こうにも大陸があることを記している。陳寿の三国志は、史記に対抗して、遠くペルーのコンドルの話まで引いて倭人が遠く南海を極めたことを記録したのだ。


nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 2

コメント 2

たいちさん

「敏」の意味が、よく分かりました。
by たいちさん (2011-01-17 10:59) 

降龍十八掌

たいちさん、ありがとうございます。
進んで学んでいくことが敏なんですねぇ~。
by 降龍十八掌 (2011-01-18 11:04) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。