春うらら・・・(滝廉太郎) [古文]
ceciliaさんの記事で、滝廉太郎の『花』を取り上げていました。
「花」に関して続き・・・武島羽衣の”本歌取り”(ceciliaさんの記事)
♪櫂のしずくも花と散る♪
これは詩を書いた武島羽衣が源氏物語から”本歌取り”をしているそうなのです。
”胡蝶の巻”で源氏が六条院の春の賑わいを歌った歌があります。
春の日のうららにさして行く船は 棹のしずくも花ぞ散りける
・・・という歌です。
ここでは櫂でも櫓でもなく棹になっていますが、棹は櫓に近いものなのでしょうね。
でも棹でもしずくが花のように散るのでしょうか?
先日の記事のコメント欄では櫓の場合は飛沫があがらない・・・というご指摘もいただいていますが。
さて、この歌にはもうひとつ”本歌取り”があるということです。
♪げに一刻も千金の♪
春宵一刻値千金(中国の詩人蘇軾の「春夜」から)
この歌は源氏物語の『胡蝶の巻』(第24巻)に載っている歌とのこと。
場面は六条院。光源氏の屋敷。源氏はここで、妻の紫の上(若紫)と同居している。正妻(北の方)・葵(あおい)の上は既に死んでいるようです。
中宮(明石中宮)とは源氏の実の娘(長女)なのですが、なぜか紫の上の養女になっています。中宮だから天皇に嫁いだことになりますね。数え13歳で、当時まだ東宮だった帝の長男を産んでいます。
宮(蛍兵部卿宮) 源氏の異母弟。源氏とは仲がいいようです。
西の対の姫君 玉鬘(たまかづら)のこと。源氏の養女。源氏は彼女を弟の蛍宮に求婚させようと図っているようです。玉鬘は源氏物語中で一番の美人ということだそうです。美しい髪は美人の象徴だそうで・・・。また、髪は勝手に伸びるので、『思い通りにならない』という裏の意味もあるとのこと。
さて、問題の歌は、源氏が邸宅の池で舟遊びをしていると、恍惚状態になった女房たちが歌を読み出します。そのうちの一つがこの有名な歌。
春の日のうららにさして行く船は 棹のしずくも花ぞ散りける
一般的には、春ののどかな風景の中で、船の棹からほとばしる水しぶきが花の散るようだ・・・という大学の講義のような解釈だそうです。
しかし、これだとな~んにもおもしろくないですね。はあ、そうですかっという感じ。
私には、赤い文字の部分から、これは男女の営みを暗示?というよりズバリ読みこんだ歌だと思います。実は万葉集以来、和歌とはそういうものなんですね。単なる風景描写ではないんです。特にこの場面では、貴族たちが集まって、饗宴=狂宴をくりひろげているのですから、酔いの回った女官たちがシャレている場面なんだと思います。
源氏物語は、子供の読む本ではないのです。万葉集が長い間、禁書の類だったのは、一つにはこれと同じ理由があったからでしょう。因みに山上憶良の七夕の歌とやらは、あきらかに性教育の歌です。
ここで出た、兵部卿宮とか式部内侍、帥宮(そちのみや)六条院など、センター試験の『一本菊』の登場人物(兵部卿宮、式部内侍、帥局、三条院など)にそっくりですね。というより、室町時代には、源氏物語を手本にした作品(擬古物語)がいろいろ作られたとのことです。『一本菊』など名作で、本家の源氏物語より面白いですけどね・・・。
去年、瀬戸内寂聴訳「源氏物語」を読みました。仰せの通り、きわどい男女関係の小説ですよね。
by たいちさん (2009-02-02 12:54)
たいちさん、ご意見ありがとうございます。
よく言えば、仏教的な無常観を表しているともいえますが、この物語の主題は決してそんなことではないと思います。
また、悪く言えば下世話な色恋物語的な面もありますが、これは味付けであって、決してテーマではない。まあ、色恋沙汰は瀬戸内さんの専門でしょうけど。
単なるマザコン物語でもないでしょうし・・・
とにかく、作者不明・目的不明の不可解な物語です。いったい、何のために書かれたものなのか?知りたいものです。
by 降龍十八掌 (2009-02-02 18:47)