係り結びはなぜあるの? [国語]
国語の大家、大野晋先生の『日本語の教室』を立ち読み。思わず、ハットさせられた。
毎年、受験生に教える古典の
係り結びの法則。
これってどうしてあるの?!
なるほど、全く今まで考えたこともありませんでした。特に、勉強がある程度できる素直な受験生ほど疑問もなく暗記してしまう。でも、これって本当の学問じゃないですよね。
こういった問題を説明できてこそ本当の国語の先生っていえるんでしょうね。(もっとも、その前にこういう疑問を持つこと自体が尋常ではないのですが・・・)逆に言えば、こんな質問ができる生徒は優秀である。
大野先生ってまだ生きてらっっしゃるんでしょうか?『日本語学習帳』や『日本語の起源』とか昔読んだので満足してしまっていたのですが、今までの著書なんかも改定版として出版されているようです。改訂版も読んだほうがいいですね。
さて、係り結びが強調表現なのは当然でしょうが、これは英語でもあるように倒置構文であると分析されていました。まさに目からうろこ!
因みに竹取物語(中1教科書)より抜粋すると
1 強意の『ぞ』、『なむ』の係り助詞は文末が終止形から連体形へ変化する。
・その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。(原文)
⇔ その竹の中に一筋あったのは、もと光る竹だったのよっ!
・士どもあまた具して山へ登りけむよりなむ、その山を『ふじの山』とは名づけける。
⇔ その山を富士山と名づけた理由は、侍たちがたくさん武装して上ったからなのよっ!
こうして、倒置してみると、終止形が連体形になるのは納得。
2 では、なぜ同じ強意の『こそ』の場合は已然形になるのか?
皆さんも考えて見てください。(これは本には書いてありません)
そもそも已然形ってなんだったっけ?で、改めて調べてみると、『~したので、~したけど』、という確定条件、完了条件というものでした。(古典的には ~れば、とか ~れども のようなパターン)
さて、『こそ』に関しては、ぱっと用例が用例がみつからないが、これってことわざに多いですね。
・好きこそ、ものの上手なれ。
・身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ。
3 主語を表す『は』『が』の出現
さて、もう一つ驚ろいたのは、どうやら現代の『は、が』といった主語を表す格助詞の出現と、このカ回結びの消滅が同時期だったらしいとの分析。
よく、日本語の難しさでとりあげられる、この『は と が』の違い。
簡単にいうと『は』というのは、話題の提供。そして、この『は』が多用されることにより、倒置文的構造の強調の係り結びは、消滅していったのではないか。(因みに『が』というのは『~の』(英語のof~)という意味だった)
・トンネルを抜けるとそこは、雪国だった。
4 係り助詞の分類
いわゆる5W1Hを二種類に分けて考えるとよく解るという。
(1)疑問詞を承ける助詞・・・そ(ぞ)、か、も
何ぞ 何処ぞ 誰(たれ)そ ⇒○ 何か 何時か 誰か ⇒○
何も 何処も 誰も 何時も ⇒○
(2)疑問詞を承けない助詞・・・は、や、なむ、こそ
何時は 誰は 何こそ 何なむ 何処や ⇒×
以上の(1)が現代の格助詞『が』となり(2)が格助詞『は』になっていった・・・という分析。
例えば、
これが本です。・・・という文は『どれが?』(本なのか)という疑問を受けて、(いくつかあるものの中から、一つを取り出して)、『これが・・・です』と答えている。
一方、これは本です。・・・という場合は、『これ』と指しているもの自体は、話者の間で既知の情報として、共通の認識・意識があるものが、何々であるということを説明している。
以上のような歴史的経緯を通して、室町時代ごろから格助詞の『は、が』が主語につくようになり、係り結びの法則は消滅していったようです。
5 なぜ現代語(口語)の活用形では、終止形と連体形がほぼ同じになのか?
これも、目からウロコの問題でした。なぜ、現代語では活用形が変わってしまったのか?これも説明されずに暗記するだけの授業になっていました。しかし、なぜ変わってしまったのかが解れば、理解しやすくなります。文語においては、あきらかに終止形と連体形が違うので『係り結びの法則』が成り立つのですが、口語ではどちらも同じになってしまいます。
未然形 連体形 終止形 連用形 已然形・仮定形 命令形
文語 来 こ(ず) き(し時) く くる くれ(ば) こ(よ)
口語 来る 来ない 来る(時) 来る 来るなら 来れば 来い
前段の『係り結び』の『強調表現』で述べたように、『ぞ、なむ』などの強調は文末が連体形になります。これから武士の時代になってくると『係助詞』を使用せずに、文末を連体形にするだけで強調表現するようになっていった。そういう表現が広まった結果、本来は連体形だったものが現在同様に終止形と同じになってしまった。
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